いつも傍にいるような気がします

 今日は父の命日……
 他の人達から見れば、暗い内容になってしまうので
 気分が鬱な方は、スルーしてくださいね。



 



 先週1周忌法要を無事に済ませた私達。
 家族からしてみれば、今日が忘れられない日なんですよね。
 今でも
 「おー、来てたか〜」
 と部屋から父がひょっこり出てきそうです。
 もし出てきたら
 「車が運転できるようになったよ
  免許とったとき、私は運転に向いてないって
  言ったんだってね〜」
 って言ってあげたい。
 子どもかー私は。(小笑)



 でも、今でも考えてしまうことがあります。

 私達家族は在宅療養を選んだけれど、
 父の本心はどうだったのかなって。
 完全看護の病院の方が、気も遣わないでよかったんじゃないかと。



 1年前の今日は金曜日でした。
 食事が喉を通らなくなって
 午後から高熱を出し、訪問医の先生に来てもらい

 「会わせたい人がいれば、土日のうちに……」


 と言われ、私は何言ってるのか理解できてなくて。

 指酸素も測定不能
 みんなで手をさすったり、ホットタオルを作って
 あたためたり……


 呼吸が苦しいからと、夕方に酸素ボンベも届きました。 


 母は弟嫁にすぐ連絡を取り、

 「先生が息子さん家族、何時頃こられますか」
 「高速で来て早くても9時半に」
 「じゃあ、心臓に負担にならない注射をします」


 そういう会話が聞こえていました。


 それでも父は痛み止めの薬を6時半頃、
 私がトロメークに混ぜたのを、しっかり飲み込んでくれました。

 そして、今か、今かと弟家族を待ったものです。


 弟家族が到着して、言葉こそは交せなかった父ですけれど、
 ちゃんと声は聞こえていて、右に左に顔を向けていたのは
 すごいことでした。


 ユウコさんが「今晩は私がついているから」
 と言ってくれたので、2階で寝ることにした私。
 準備して、父に「おやすみ」を言いに降りてきたら、
 空気の流れが違っていて、
 「えっ! お父さん!」
 と大きな声をあげました。
 すると、口を2、3回パクパクして……

 私の声を聞いて、
 夜食の準備をしていたみんなが、
 また父の所に集まってきたのです。
 酸素ボンベの音だけが、虚しく響いていました。


 弟家族がお墓参りに行ってくれるということなので
 こちらは母と私の夫と、コザ達と、
 父を偲びに実家に行ってきます。




 ナナ:「ボク達も、一緒になって、
     じいちゃん応援したチュチだな」
 りん:「ソラちゃん、じいちゃん、見つけられたかしらね。」




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