慌しいですね

 昨日の記事の続きです。

 

 18日の午後11時45分頃、父の呼吸がとまって、
 すぐに先生に電話しました。
 まずは看護師さんが来てくれて、その後に先生が到着。
 先生が死亡確認をしてくれて、弟達家族が間に合って良かったと
 おっしゃってくれました。


 先生は死亡診断書を書くために病院に戻り、
 看護師さんが残り、湯灌をしてくれました。
 そして、前から言われていたんですけれど、気に入っている服が
 あればそれを着せてもいいと。
 だから、趣味のひとつであった
 「パークゴルフ
 へ行く恰好をコーディネートしました。
 シャツ、ベスト、ズボンは父の日に私がプレゼントしたものでした。
 丁寧に着替えさせてくださり、
 看護師さんは髪までも洗ってくれました。
 そんなこんなで午前2時半になっていたかな。
 みんな、とりあえず寝ようということになり、布団に入ったとは
 思いますが、皆、なかなか眠れなかったと思います。


 それでも何時間かは睡眠がとれました。
 まずは葬儀屋に電話。
 近くの会場がタッチの差で使えなくて、少し離れた場所に決定。
 葬儀も「家族葬」でいいと父が言っていたので
 なるべく安く費用を抑えようと頑張りました。
 無料のお悔やみ欄にも、最初は載せないつもりでいましたが
 私が電話応対に追われている最中に「載せる」ことになっていました。
 たぶん、
 父の昔の職業を聞いて、あとから弔問客が家にたくさん来る方が
 大変かもとアドバイスしてくれたのではないかと思います。
 結局、見た目は普通なお葬式に近かったですね。
 父の職場の先輩・後輩、
 回覧板を回さなかったから、バスも手配しなかったけれど
 通夜には町内の方も沢山きてくれました。



 父は人付き合いが良かったので、もしかしたら自分で
 引き寄せたのかもしれませんね。


 弟は片目の白い部分が赤くなっており、みんなに
 「日頃の行いが悪い……」
 などど私も一緒になって言っていましたが、
 私も似たような目になっていて、皆に笑われました。
 (同じ遺伝子?)
 翌日の弔電の読み上げ順や、焼香の順番などを決めなくては
 ならなかったので、私と弟、ユウコさんでやっていたせいか


 全然眠くならず、2時半頃に横になりました。
 でも、私は5時半に起床して、夫と実家に戻りました。
 そう、子どもたちのカバーをはずして、放鳥させてくる係りに
 誰に頼まれるわけでもなく、なんとなくそういう感じにね。
 ココちゃんは、少しだけ放鳥して遊ばせ、カゴに戻しました。
 たぶん大丈夫だと思うのですが、何かあったら困りますからね。
 
 

 19日に、私がキッチンで食器を洗っているとやって来たココちゃん。
 私の手のひらの中で水浴びを始めました。



 私が憧れていた
 『手浴び』です(笑)

 もうココちゃんはキロちゃんを追いかけてばかりいましたね。
 その様子が可愛かったのですが、動画や写真は
 忙しくて撮れなかったです。
 マリアとシュウヘイにデジカメ預けたりしていましたよ。


 この記事は、あと1回ぐらいで完結する予定?です。
 もうすこし、おつきあいくださったら、嬉しいです。





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