『雪の降る街を』音楽祭

nanatyuti2010-02-14

 「もしかしたら、童謡を聴いたら少しは癒されるかも知れないわ」
と実家の母が、ルークの散歩コースで知り合ったご婦人から、この音楽祭のチケットをもらった。
 「童謡なんて、ナナちゃんのママ行かないわよねー」

 旭川雪の降る街を』音楽祭
作曲家の『中田喜直』先生が2000年5月に亡くなり、その2年後に旭川の音楽教育にご尽力下さった中田先生を偲んで、この音楽祭が出来、今回で9回目になるという。冬に旭川に来る時は、スキー持参で楽しんでいったという。
 実は私、この中田先生をナマで見た事がある。
 中学生の頃、クラスでピアノを習っている男の子がいて、中田先生と連弾をするということでチケットをもらったからだ。
 この頃は、「くらもちふさこ」のマンガ『いつもポケットにショパン』というのが連載中で、ピアノを弾ける人がうらやましかったなー。
 今回は中田先生の作曲した童謡のコンサートだったけど、プロの歌手さんの歌声はいつまでも聴いていたいなーと思ったくらい。
 やはり、自分で歌う歌と、人に聴かせる歌は違うんだなーと思いながら聴いていた。
 そのまま大きな振り付けつければ、ミュージカルみたいだった。
 最後に中田幸子夫人が指揮をし、会場の皆の方を向いて全員で
 『雪の降る街を』合唱した。


 ところが私、その歌の2番に入って、心臓がドクドクしてきて周りの音が聴こえなくなってきて、貧血状態になって動けなくなってしまった。
 コンサートが終わり、お客さんは次々と会場を出て行く。
 母が、関係者の人に「お水もらえませんか」と頼み、レストランからお水をもらってきてくれた。
 それを一口二口と飲み、汗がひき、少し落ち着いてきた。やっと立ち上がることができ、ロビーの長椅子に横に寝かせてもらった。
 館の人は「救急車呼びますか?」とか、「医務室のベッドで休みますか?」と言ってくれる。
 警備員のおじさんまでもが、無理しないでゆっくり休んで行きなさいと言う。
 だんだん、意識もはっきりしてきた。今度は急に寒気がする。
 ジャケットを着て、コップをレストランに帰し、母と駐車場に向かった。

 帰りの車の中で思った。
 果たして、母は癒されたのだろうかと……