後悔はしていないけれど……

 最近、思い出すとブログで残そうとしている亡き父のこと。
 「またか……」
 と思わず、お時間のある方だけどうぞ。


 父は人を選ばないというか、誰とでも仲良くなれる人でした。
 そして人に物を頼まれると断れなく、私達家族から見れば
 「いい感じに利用されているよね」
 って思われていました。


 煙草とお酒が大好きで、
 特に煙草は肺ガン検診でひっかかってもやめられなかった。
 お酒と言えば今年の2〜3月は、夫が不在の事も多く
 実家に泊まったりしていた私。
 父が「おねーちゃん、ワイン飲もうよ
    こんな時じゃないと飲めないから……」
 とある日はワイン、ある日はビールと飲んでいたんです。
 今思えば、この時がまだ何も知らず美味しくお酒を
 飲めた最後だったのではないかと。    


 でも今回の死亡原因となった「前立腺癌」と聞いてから、
 誰に注意されることなくピタッと吸わなくなった。
 たまに飲んでいたお酒も飲まなくなった。
 ……でも遅かったね。


 父を自宅で介護するようになり、大変な事も多かった。
 母が食事を食べさす係、
 私が薬を飲ませる係。
 オムツ交換は母と2人でやっていた。
 薬を飲ませる係……もう父は水で飲み込むことは出来なくなっていた。
 トロミをつけて、スプーンに何錠ずつか乗せて飲ませる。 
 でも、何回も薬を吐き出された。
 根気との勝負でしたね。


 ご飯はおじやにすると食べてくれたが、
 本当に美味しいと思って食べたのだろうか。
 食後に大好きな柿を一口、アイスを一口、
 それの方が、喉越しがよかったのではないかと……。


 自宅は病院と違い、精神的にくつろげたと思うが、
 かなり痛かったんだろうなー。
 でも、私達にはあまり痛いと言わなかった。


 10月の10日過ぎた頃から、父の顔が更に痩せてきたように
 感じた。
 りんもソラもキロも、たまにベッドに行って顔を覗き込むが
 父をガブしなくなった。


 夜中に「せん妄」がひどくて、常に何か喋っている。
 薬の影響だと思っていたけれど、痛みとの闘いだったんだなって。
  

 「もっと痛み止めを飲ませてあげた方が良かったのではないか」
 私は高熱の心配ばかりが先走っていたよ。
 遠慮しないで言ってくれればいいのにと後で思った。


 でも亡くなる日の6時間前も私からの薬をちゃんと飲んでくれた。
 父は父なりに頑張ってくれていたのだ。
 少なくともこの状態が11月までは続くと覚悟していたから。


 私も父が亡くなる日、そんなことが待ち受けているとも知らず、
 検温して、水分とらせて、その日は訪問看護師さんが来るのが
 お昼近くだったので、母は銀行と買物に行き、
 私は父の部屋を掃除機かけるのに、少しベランダから空気を入れ替えたり
 していたんですよ。


 8月末からほぼ毎日通った病院、
 自宅での介護は、たった16日間なのに、
 初心者にはすごく大変だった。
 けれど、後悔はしていません。
 でも家族が少ない人には、決してオススメは出来ませんね。
 だから何年も寝たきりの人を介護している方には
 鼻で笑われそうですけれど……。
 


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