トモちゃんスミちゃん

  「トモちゃん、来てくれたんだー」
 と泣きながらかけ寄ってきたのは、
 スミちゃんの長女だった。


 昨日、母と私は札幌までお通夜に行って来たのです。

  「トモちゃん」 というのは、私の母の事で
  「スミちゃん」 は若い頃からの、母の親友。


 スミちゃんの旦那さんが、転勤族だったから
 交流は、さほどなかったんですが、
 地元に戻ってきて、独身時代の職場仲間と
 国内旅行に行ったことがきっかけで、最終的には
 2人で海外旅行まで行っていました。


 私もスミちゃんとは、函館の旅行や、
 層雲峡の「氷ばくまつり」(夜の部)を見てみたいと言うので
 母と3人で一緒に行ったことがあるんです。

 「トモちゃん、テレビで見ているほうが楽でキレイだね」

 そうなんですよ、北海道人なんですけれど、寒くて、
 路面ツルツルで、死ぬ思いすることがあるんですよ(大袈裟)
 母とその言葉を聞いて、顔を見合わせて笑ったのを
 覚えています。

 でも、スミちゃんは、本当に明るくて楽しい女性でした。


 そんなスミちゃんが去年の2月末に電話してきて

  スミ:「トモちゃん、私、なんか悪いことしたかい?」
  トモ:「どうしたの、何かあったの?」

 と、自分が癌になったことを告白。
 治療の為に、旭川の家を売って、
 娘2人がいる札幌へ引っ越すことになったと。
 2週間ぐらいで、とりあえずの生活用品を持って
 札幌の賃貸マンションに行ってしまいました。

 
 そして5月には、私の父の癌がわかって、
 スミちゃん夫婦は、7月末だったかな?
 色々な手続きを兼ねて、実家に寄ってくれ
 自宅療養中だった父を励ましに来てくれたくらいです。


 10月に父が亡くなった時は、さすがに治療中で来れなくて
 落ちついてから、母の所に泊りにきてくれたみたいです。


 抗がん剤治療で、癌がほとんど消えて、自毛も生えて来て
 みんな喜んでいたという。


 「再発」……本当に嫌な言葉ですね。
 8月11日に入院して……
 亡くなる1時間前に
 「お母さん、大丈夫だからみんな帰りなさい」
 と言うほど周りを気づかって……

 いや、スミちゃんの事だから、まだまだ大丈夫と
 思っていたのかも知れませんね。

 
 そして、土曜日の朝、母が泣きながら電話をかけてきて
  「スミちゃんが、死んじゃった〜」
 って、スミちゃんの次女が連絡くれたそうです。
 母は札幌だし、
  「葬儀には行けない……」「後日改めてお参りに行く」
 と電話を切ったそうですが、
 私の心の中がモヤモヤしだして、
 出張中の夫が今日(土曜日)帰ってくるので、電話をしましたが
 なかなか繋がらなくて……。
 やっと通じて、夫にそのことを話すと、
  「えー、明日、せっかくの休みなのにー」
 みたいな事を少し言っていましたが、
 連れて行ってくれると言ったので、
 日曜の朝、お悔やみ欄で日程を確認して、
 すぐに母に連絡をして、支度をするように言いました。


 高速を降りて、ナビ通りにすんなりと会場に
 着くことができました。

 

 そして、スミちゃんの長女、次女が挨拶にきてくれて
 私が母に準備させた、旅行の写真と手紙……
 柩に入れてもらいました。
 スミちゃん、お人形さんのようにキレイでした。
 「わざわざ遠い所からきてくれて ありがとうねー」
 って言っているようでした。


 私も「スミちゃん、スミちゃん」と母と同じように
 呼んでいましたが、スミちゃんの娘2人も
 「トモちゃん、トモちゃん」
 と母の事を呼んでいたので、「同じだー」
 って思いましたね。


 今日、スミちゃんは荼毘にふされて、
 冥途へと旅立って行きましたね。
 私の父も、今、どの辺にいるのかな?
 スミちゃん歩くの早いから、抜かされないようにね……。

 
   スミちゃんの ご冥福をお祈りします……



 これは余談ですが、
 「トモちゃん好みの男性がいるよ」
 って、見つけてきてくれたのもスミちゃんだったんです。
 はい、それが私の父になりました(笑)


 母の若い頃……白黒写真ですが、
 ちょっと短めのワンピースに大きな頭……
 スミちゃんも、トモちゃんも 青春時代があったんですね。




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