私の母の産まれた場所は道東のとある町。
母は1日生まれで、父親は同じ月の月末に病死。
だから母は父の記憶が無い。
祖母は初婚の相手とも死別しており、一応、再婚同士。
几帳面で、朝起きたらまず空気の入れ替えをして、
掃除・洗濯も進んでする人だったとか。
母は戸籍に入れて貰えたが、祖母は旧姓のままだった。
(子供の頃、不思議に思っていた)
結局、母が赤ん坊の時に誰かに顔まで布団をかけられ
殺されかけた。
(凄く大きな声で泣いたので祖母が気付いた)
要は邪魔者扱いとなった祖母と母は、家を出ることに決め
甥っ子が迎えに来てくれたそうだ。
当時の移動は汽車だったと思うが、
祖母はこの海にも別れを告げて涙を流したに違いない。
祖母の7回忌の時、その時に迎えに行ってくれた
甥に当たるおじさんが、
「何かおみやげ(慰謝料的なもの)は無いのですか?」
と遠回しに言い、少しお金を貰ってきたと教えてくれた。
弟が道東に転勤になり、母が実父のお墓に行ってあげて
と一度だけ行ったことのある場所を伝えておいたら
最近、探して行ってくれたようで写真をラインしてきた。
何となく見覚えがある。
近くの、この場所でソフトも食べた記憶もある。
それで、墓の前で母が記念撮影していたのを思い出し
2日かかって、やっとみつけました。
デジカメ初心者で、パソコン読み込みも夫に任せていたら
名前つけないから、消えた写真データもたくさんあったし
似たようなタイトルの日付ばかりで探すの苦労した。
その日付が2003年8月10日だった。
えー、そんなに前だったの?
記憶も薄れているわけだーーー。
ミラ:「ナナたんも、そこのお墓行ったことあるチュイ?」
ナナ:「まだ産まれてないチュチだよ」
2003年の道東の旅は、私達夫婦と両親の車と2台で
二泊三日だったと思います。
台風で前日夜まで降り続けていた雨、
朝には晴れたので気持ちはルンルン。
夫の気分でどの道を通るか任せていて、
スイスイ走っていたのですが、その適当に選んだ道が
良かったらしい。
時々、被害の出ている道路もあったり
自衛隊の支援の車を見たりと
「ここらへん凄かったんだね」
と他人事のように見ていましたが、同僚から
「大丈夫? そっちの方、被害ひどいよね」
のメールが。
帰宅して、ニュース見てその被害の大きさに驚いたのを
覚えています。
ナナ:「それからママ達はラジオも聞くようになったチュチ」
コモ:「ふーーーん」
パリ:「今はスマホもあるチュパ」
ミラ:「またどこかドライブ行きたいチュイね」
ナナはお墓には行ってないけれど、2013年5月に近くを
通っているのよね。
「じいちゃん、寄れなくてごめんねー」
と墓を通り過ぎる時、手を振っていたんだよね。
ナナもりんも若いね。
その時は2012年の7月に亡くなり(お世話になった祖母の甥)
両親だけ葬儀に行ったので、フクハラでお花を買って
お墓参りに寄ってもらったんだ。
この大型連休が終わってすぐに、父の癌が発見されて
何とも言えない年になったわけですけどね。